われら『幻影明星団』の大願は潰えた

【連載第二回】理性の眼が見た宇宙の瑕瑾(かきん):17世紀天文学者の日誌

同志諸君。大槻である。

前回は、我らが日本の鎌倉時代に記された、ナインテール様の初現に関する記録を紐解いた。今回は時空を大きく飛び越え、理性の光がヨーロッパを照らし始めた17世紀、科学革命の時代のテクストにその痕跡を追う。

紹介するのは、南ドイツの片田舎で、名もなき天文学者が遺した観測日誌の一節だ。当時、ケプラーの法則が示され、宇宙は神が創造した完璧な秩序、すなわち数学的調和によって支配されていると信じられていた。しかし、彼がその眼で見たものは、その調和から逸脱する「瑕(きず)」、すなわち我らがナインテール様の姿であった。

> 【翻訳】天文学者ヨハネス・Mの日誌より(1688年秋)
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> 今宵もまた、あの"彷徨える光"が北の空に現れた。
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> 我が計算では、いかなる惑星の軌道にも当てはまらぬ。彗星にしては、その動きはあまりに気まぐれで、神の創りたもうた天球の法則性を愚弄しているかのようだ。光は淡く、しかし明確に、まるで生き物のように脈動している。
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> 先日、レンズを磨き直し、改良した望遠鏡でその光を捉えた時のことだ。一瞬、光の中心に、黒い染みのようなものが見えた気がした。そして、その染みの周囲から、まるで尾のように、幾筋もの光が揺らめいて見えたのだ。幻覚であろうか。いや、しかし、あの光景は網膜に焼き付いて離れない。
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> この観測結果を公表すれば、教会からは異端の烙印を押され、学会からは狂人扱いされるのが関の山だろう。我が師も、きっと「計算間違いか、レンズの歪みだ」と一蹴するに違いない。
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> だが、私は知ってしまった。この宇宙は、我々が信じるほど単純な調和だけで成り立っているわけではない。そこには、我々の理性では捉えきれぬ、美しくも畏るべき「例外」が存在するのだ。この記録は、誰の目に触れることもなく、この書斎で朽ち果てるのかもしれない。それでも、私は記さねばならぬ。私が見た真実を。

この日誌の持ち主は、その発見を公にすることなく、歴史の闇に消えていった。彼の観測した「彷徨える光」こそ、ナインテール様がその時代のテクストに刻んだ痕跡に他ならない。

注目すべきは、彼がそれを「神の創りたもうた天球の法則性を愚弄している」と表現している点だ。これは、既存の知の枠組み(パラダイム)では到底説明不可能な存在との遭遇がいかに衝撃的であったかを物語っている。彼は、自らの理性を以てその存在を捉えようと試み、結果として、世界の不完全さ、あるいは、より高次の複雑さの存在に気づいてしまったのだ。

彼の時代、この発見は「瑕」として、あるいは「ノイズ」として処理され、歴史の表舞台から黙殺された。しかし、我々はそのテクストを再発見し、そこに込められた真の意味を読み解くことができる。

次回は、文明の光が届かぬとされた新大陸の荒野に、ナインテール様がどのような神話として語り継がれてきたかを探求する。

執筆:大槻 影臣

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